つづき
それからその台をプロの6人が次々と打ち始めました。5分もすると全員がボーナスを引いていました。その後も次々とボーナスを引き当て中には帰って行くプロの方もいました。ただただその光景を訳わからず見ていたのを思い出します。
それから半年間その仕事をこなしていたある日、Kさんがこの台打ってみろと10円玉でおさえていた台を打たせてもらいました。するとすぐにビックボーナスを引き当てあっという間に10連しボーナス後35ゲームを回したところでやめろの指示があり即やめしました。その後も1日1台は打たせてもらえるようになり、財布の厚さが変化していったのを思い出します。その後システムを理解し独自に立ち回りし更に財布が分厚くなりました。当時はKさんと毎日キャバクラ、寿司、キャバクラ、焼肉みたいな日々が毎日続いていました。今のキャバクラ?メイクラ?はどんな風になっているのか知りませんが昔のキャバクラは女性が一生懸命場を盛り上げてくれてめちゃくちゃ楽しかったです。もう10年以上は言ってないですけどね。今でもこのやり方が出来たらすぐにでも仕事辞めちゃいますけど今は勝つ事自体が運ですね。毎日通って店のくせ、設定などを見抜くことが出来れば中には勝っている人もいると思いますけどほとんどの方はパチ屋に貯金してるはずです。
まあなけの攻略?やり方は単純なものでした。
これはそのうちまた公開します。
しかしこんなうまい日々がいつまでも続くわけがありません。次第に店を移動したりうち子になってみたりと色々やりましたが上手くいかず2年でプロ生活は終了をむかえました。
その後地元に戻り、ホテルで働いたりしていましたがなかなかしっくりこず悶々としていました。
結局ホテルも辞めプー太郎になりました。
休みの日バイクに乗り海沿いを走っていた時に高校生の頃にバイトをしていた会社があり同級生も働いていたので暇つぶしに遊びに行ってみました。
世間話をしていたら当時お世話になっていたマネージャーがきて、『おう!久しぶりだな、今何してんだ?』俺『プー太郎っす!』すると『じゃあこのまま今すぐここで働け!』とほぼ強制的に働くことになりました。給料も結構良くて有名な会社でした。
しかしその会社にもパチスロ好きな奴がたくさんいて自分も当然そっち側の方に徐々に引き込まれていきました。しかし全く勝てずあれよあれよという間に給料では足りなくなっていきました。
この時既にギャンブル依存症に入り込んでいたのだと思います。
次の話はついにその第一歩を踏み出すことが起きます。それではまた明日。