パチスロ
攻略法についてなんですがプロ生活していた時に実践していたことをお話ししていきます。
この前ブログでも書きましたがまず前日閉店間際にビックボーナスおよびレギュラーボーナスを引いている台を全てチェックします。
感の良いかたならこの時点でこの攻略法がわかった人もいるのではないでしょうか?
今の機種についてはそれ程詳しくないのですがパチスロには設定があって1番良いと言われているのが6で最悪が1です。あたりの仕組みは簡単に説明すると円の周りをある物体が一定の速度で回っていてわずかにある固定された当たりの部分を物体が通過した時にレバーを叩くと当たる仕組みになっていました。だから昔は体感機なんかも良く使われていました。自分達は使いませんでしたけどね。
それが今は当たりの部分が毎回変化する為体感機の使用も厳しくなっていきました。
それと昔は波と言うものが存在していました。
例えば設定6から設定1にしたとしてもいきなり設定1の状態にはならず徐々に設定1に近づいていくかたちでした。いよいよ俺たちが何をしていたかを説明しますが単純作業を繰り返していただけなんです。
当時打っていたペガサスは爆裂機でした。20連、30連は普通にありました。
例えば20連する台が前日閉店時に1回目の当たりを引いていたとすると次の日残り19回残っていることになりますよね。これだけの事です。攻略法でも何でもないんですw
朝一する事は10円玉で抑えた台を順番に打ち込んでいくだけです。まあ何回当たりが残っているかは実際にはわからないので当たらなければ即やめします。即やめの基準は3枚入れで35回転です。
これが今と違うところで昔の数え方は3枚入れてレバーONで1回、2回、3回と数えていくんですが5回目に払い出し15枚があった場合、15枚÷3枚で5回転分元に戻すので1回転からの数え直しになります。
今の台に使えるとは思いませんが小役、リプレイがよく揃うだいほど投資金額は少なく済むと思います
ペガサスがまだあった頃、リノも新台で導入されましたがこの機種についてはボーナス後5回転以内に小役が揃えば連チャン確定する台だったので朝一五回まわせば良かったのでかなり稼ぎました。
また5回転まわして小役が揃わなかった場合指でベッドボタンをデコピンするような感じで一枚がけプレイを挟み撃ちで繰り返しクレジットが50枚まで戻ればビック終了時と同じ状態になるためまた5回転のチャンスを回せることができました。結構な確率で成功する攻略法でしたね。
ペガサス、リノで稼ぎまくり泡銭で毎晩馬鹿騒ぎしてました。馬鹿ですねw
まだ若かったからその金で何かやろうとか何か買っておこうとか考える頭が無かったんですね。
当時プロは7人に増えていてそこにはみかじめ料みたいなものも存在しある方に1人1日5000円払っていました。トラブルがあった時の保険みたいなもんですね。全身もんもんいりの人でした。正月とか新年会とかあったんですけど超怖かったですね。
けどベンツではなくチャリ乗ってましたwww
風の噂ですが今はもう亡くなったと聞いています。
攻略法はその後も色々出てきました。
コピー打法も有名ですね。
あとパチンコにも一個だけあってそれもかなり稼ぎました。これは1回当たりを引けば無限に当たり続けるため制御が必要でしたね。多分知ってる人もいるはずですね。
のちに梁山泊も出てきますが売っていた攻略法は詐欺そのものでしたね。
今もプロは存在していますが自分にはもう無理ですね。たとえ勝ったとしても運でしかありません。
たまに挙動をみて5だなとか終了画面で6じゃんみたいなのはありますがまず勝てません。
結局はパチ屋に吸い取られて終わりです。
みなさんもやるなら遊び程度にして20スロ、4パチはなるべくやらない事をお勧めします。
赤7フリーズでしたがショボかったですwww
告白
今自分のカードローン残高どうなってる?
嫁『、、、、』無言
もうほとんど終わってるよな??
嫁『、、、、、、、』無言
黙ってでもわかんないし!
嫁『全然減ってない』
えっ??なんで!?
40万くらい手取りあってもう何年も経ってるのに?
なんかやったん?
この事件の後数年後、離婚することになるんだけど
今現在も理由は語らずです。
詳しく聞き出すと嫁自身のカードローンが400万円あるとの事、それプラス俺のも一切払ってなくて総額700万近くのカードローンが丸々残っていた。
目の前が真っ白になるってこう言うことなんだと初めて思った。
マンションのローン、車のローン、カードローンでもう給料ではどうしようもなくなった。
そっからは金策に走ったがどこにも金を貸してくれる所なんてなかった。唯一貸してくれたのは闇金だった。これに手を出したら最後、すべての闇金はほとんど繋がっていて色んな所からひっきりなしに電話がかかってきた。そして遂にどうにもならなくなった。会社にまで電話かけてくるようになり会社にもいられなくなってしまった。
もう自己破産以外道はないと思った。
そう思っていた矢先事情を知った友達がもとサラ金の店長を連れて家に来た。
『自己破産はやめて、債務整理にしてください。』もと店長に言われた。何が違うのかはよくわからなかったが1から説明してくれた。
闇金にも彼が電話してくれて借りた金も返さなくて良いことになった。
今の時代よくコマーシャルでやってますが弁護士が間に入り長年ローンを組んでいる人を食い物にし手数料をとって儲けていますよね。
まあ確かに借りた人は助かりますよね。払わないどころか逆にお金戻ってくるとかですからね。
けれど債務整理は弁護士使わなくても自分でできるんです。実際に私は一人でやりました。
借りていた所の領収書、何年にいくら借りていまいくら残っているのかなど色々調べて資料を集めて家庭裁判所で先生と呼ばれてた方とサラ金の人と三つ巴で話し合いを行います。
元々サラ金は違法な金利をとっていたので長年借りてると利息だけで借りた分以上払っている計算になります。そういうカードは話し合いでほぼゼロになります。それがいまよくCMでやってる私はいくら戻ってきました。ってやつです。
私のカードローンはほぼ0になりましたが嫁は借りた時期が浅いためほとんど残ってしまいました。
月々の支払いはかなり減りましたが、夫婦の信用もかなり減ってしまいました。それからはもう修復不可能になり何年か後に離婚しました。
その後はローンが組めないのはもちろんの事、カードもすべて没収されました。いわゆるブラックリストになってしまいました。
次は少々脱線します。
またかよ!
噂が聞こえてきました。
なんか会社やばいみたいだぞ!?
ん?なんだ?なんなんだ?
1年くらい前他会社から引き抜きをして来た人が2人いたんだけどいきなりリストラ対象になりやめて行った。何が起きてるのかはわからなかった。
その1ヶ月後、検査員の女の子と一緒に協力工場に勉強しに行ってこいと言われ3ヶ月だったと思うが働きに行った。工場内に入るとパートさんに新人扱いされ雑用をやらされたwまあ慣れてるから良いんだけど一応同じ会社の上司なんだけどね。
研修?が終わって帰る時そのおばちゃん俺の正体がようやく分かったようで必死に謝ってた。
全然気にしてないから良いよと、今度はうちの工場に研修に来てねって言い残して会社に戻りました。
業務内容が全く異なることを1からやるみたいで1億かけて組み込んだラインも全て撤去すると言われた。俺は決断すると誰に何を言われても止められない人だったので自分から退職を申し出ました。
引き留めはありましたがなんか燃え尽きた感満載でやる気が失せてしまっていたのでそのまま退職しました。色々経験させてもらい充実した7年間でした。
それからすぐに次の仕事が決まりました。
今度は倉庫内の管理業務とパートさんの送迎でした。ここでもまた良い歳こいて新人イビリする馬鹿が1人2人ではなくあちこちの現場にいました。
まあ負けませんけどねw
仕事も覚えてきた頃年下の上司とバトルになりましたが口は俺の方が数倍達者なんで相手は何も言えなくなってましたね。その頃新人が結構入社してきてその中の1人とかなり仲良くなりました。
昔からいるやつの悪口言いながら癒しあってました
ある時その友達が俺の年下の上司達が不正行為しているのを会社に告発したんです。
何をしていたかというとタイムカードを人にやらせてもう会社にいないのに何時間も後にタイムカードを差し込んで残業を稼いでいたんです。
もうそりゃあ大問題になってやってたやつみんなクビになりましたよ。てことでまたもやすぐにリーダーに就任。ついてんのかついてないのかよくわからん時代でしたね。
まあしかしやる事のない会社で3人チームなんだけど仕事してる時間より待機してる時間が長くて地獄でしたね。何もやる事ないってほんと辛いです。
暇だから1日長くて長くて
けど給料はまあまあ良かったんです。
この頃新車を購入し、さらにはマンションも買いました。新車は300万、マンションは2000万もちろんローンです。2000万は35年払いです。
カードローンも残ってんのに良くすんなり貸したなと思います。まあ自分はその頃金の管理は全て嫁に任せていたんでなんの疑いももたずに生活していました。しかしある時支払いが遅れてますと言う電話が携帯にかかってきました。なんでだろと思い家に帰り嫁に聞いてみるとゴメン忘れてたとのことでした。しかし何か様子が変だなと感じました。
この後衝撃の告白が、、、、
新しい会社
会社には社長、部長、次長、工場長、あと隠居しているお爺さん、いじめっこの先輩、パートさんたくさん。そんな感じの会社でした。
最初の頃から工場長といじめっこに色々嫌がらせされましたね〜w
仕事は何一つ教えてくれず、指示も無し
特にいじめっこ野郎は性格も悪くてほんと最悪でしたね。部長のめんこだからかなり態度もデカかったですね。顔にいじめっこが滲み出てましたね。
なんかやってらんねえなと思い部長に辞めますって言ったらK君(いじめっこ)いるんだから大丈夫だろって!いやいやそいつが嫌いなんだよ!
と思いながら我慢して徐々に仕事こなしてるといじめっこと工場長も態度変わってきましたね。
夏場になりかなり忙しくなり残業も増えて7月、8月、9月は手取りで40万超えてました。
こりゃあ借金も速攻でなくなるなと思いながら日々仕事をしていました。
しかし1年後のこと社長が夜逃げしました。
みんなで必死でもないですけど一応探しましたけど見つかるわけないですよね。
なんとまたもや会社が倒産してしまいましたw
こりゃあ呪われてるとしか思えねーw
それから数日後のある朝
見知らぬスーツ姿の人2名が応接室にいました。
なんだろうと思い事務のおばちゃんに聞いてみると
なんと会社が買収されたらしいw
超王手の会社がウチの会社を買い取ったみたいです
もしかしてこりゃあ辞めなくても済むかもしれないなどと思いながら会社内の後片付けと残っている注文をこなしていました。
早いもので翌日新社長と思われる顔が真っ黒いいかにも酒飲み過ぎですみたいな人が挨拶に来た。
しかし後から分かったことだがただの地黒だった。
会社自体の業務は変わらないとの説明がありまた通常作業ができるようになった。さすが金持ってるだけあるな!
しかしこれからが激動でした
ウチの会社は老舗で社長含め工場長、他のお偉いさんは昔気質の人ばかりで新しいものを受け入れるのに拒否反応があるため新しいことをしようとしている社長とは合うはずもなく激突が始まった。
日々怒号が響く毎日が続いた
そして1人また1人と会社を去っていきました。
気づくと事務に残っていたのは事務のおばちゃんと俺だけでしたw
さすがにこりゃあ俺もいられないと思い新社長に問いかけしてみた。『これってやめろって事ですよね?』すると『違うKは残ってくれ』と言われました。これから工場を人力ではなく機械化していくからそれを手伝ってくれとの事でした。しかしまだ会社入って1年だし何にも出来ないですと伝えるとそれで良いって言われました。
あとキツく言われたのは工場内でパートさんと一緒になって作業するのだけはやめてくれ。
これは何度も言われました。
君に払ってる給料はパートとしての給料ではなく管理をしてもらうために払っているのだから時給で働くような事はやめて工場内全般の管理をしてくれといまれました。それって工場長やんけ!
そんなん出来ねえよって思いながらも意識変えないとやってけないと思い。徐々にですがパートさんとの関係が逆転していきました。
今まではほら何やってんのさ!とドヤされてる立場からドヤす立場えと変化していきました。
とにかくお金がある会社だった事もあり工場はコンベアだらけになり、増設もして生産量がヤバいくらいにあがりました。今まで人力で行っていた作業を人力から機械化することで生産量が10倍になったんです。これはマジで凄いなと思いました。
その中でも自分達で考えた機械もあり特許を取得したりもしました。何より変わったのが自分がなんの苦手意識もなくパソコンを使い表計算、関数を使いながら管理するシステムを作ったりしていたことですね。なんでって?駅前留学したからです。
もちろんお金は会社がだしてくれました。
東京への出張、幕張の機械展示会など会社から出て仕事する事も多くなり、市場調査、仕入れなども任されるようになっていきました。
自分の下にも人が増えていき工場を任せられる人も増えていきました。忙しすぎてあっという間に7年が経ちました。早!
しかしこの時からまたもや黒い噂が流れはじめるのです。呪いの復活が始まりますw
密会
2人で食事をし結構良い時間になったので彼女を自宅まで車で送り届ける事になった。自分は酒が飲めないので飲酒運転だけはできません!いまだに飲酒運転するやついるのが信じられない!
いろんな話を聞きました。彼氏の話、息子の話、
えー!子持ちかーい!w
びっくりしましました。全然そんな風に見えなかったから。しかも5歳も年上だった。
源氏名は千穂でした。可愛いというよりはキレイって感じでした。彼氏はろくでもないやつみたいで犯罪者でもあったようです。
彼女の家の前に着くとしばらく車の中で話しそろそろ帰ろうとした時、『遅いし泊まってけば?』といきなり言われました。まだウブだった俺は何も言えず気づいた時には彼女の部屋にいました。
え?これってまさか?まさかだよな?
社長の怖い顔がチラホラと脳裏をよぎるなかふと彼女を見ると自分で巻いたであろうタバコを吸い始め自分にも渡してきました。彼女の顔つきが変わったのがわかりました。戦闘モードです!
キスされ舌を入れられきのこの山を弄られました。
もうこうなったら抑えきれませんw
流石に歳上のテクニシャンです。いろんな体験させてもらいました。
後から聞いた話なんだけどウチの社長店の女の子とかなりやってるって教えてくれた。
あんだけ俺にダメだって言ってたのにw
それからは彼女とは頻繁に会うようになりました。
結構危ない体験もしましたが色々勉強になりましたね。今彼女はどうしてるだろうか?元気でいてくれたらと思う。
脱線したw
その後夜の街を転々とし27歳になった時変化が訪れた。まあその前にも色々あったんだけどまた後で話します。
何が変わったの?なんと結婚したんです。w
夜の生活から足を洗い昼間の仕事につきました。
家賃4万のアパートを借りそこにしばらく住みました。会社までは歩いて1分でした。
働いて初めてもらった給料は手取り18万でした。
こりゃあまずいなと感じ必死になんでもやりました。一年後手取り25万になりました。
小さい会社でしたが若手がいなかったので急成長しましたw
それから少しして長女ができました。宝です
がむしゃらに働きました。しかしなんと3年後会社が倒産しました。家族3人途方にくれましたねw
けど働かなきゃならんので必死に面接行きまくりました。しかし落ちる落ちるw
もうヤケクソになってジーパンにTシャツきて面接に行ったら返事は1週間後なと言われ、またか!と思いながら家に帰ると携帯がなったので応対するとさっき面接した部長さんでした。『君に決めたから明日から来てくれ!』でした。えー!1週間後じゃねー!
と思いましたが『ありがとうございます!明日から行きます』ですよね。
この時は借金も少しづつではありますが減っていました。
しかしまたこの会社も色々とある会社でした。
続く
最初の過ち
ある時仕事で敦賀へ
1日だけ休みがあったため友達とパチ屋に直行した。
給料日前であまり金もなかったがとりあえずスロットを打ち始める。2時間もすると財布の中身が空になった。友達に会社に帰ることを伝えてパチ屋を出ようとした時に『おい!あそこ行って借りてこい!』はっ?何?指差す方をみると円ショップがあった。
今はなきサラ金である。俺も借りてるけどすぐ貸してくれるぞと言われました。そうなんだと軽く考えドキドキしながらも店へと足を運んでしまいました。時間にして15分?あっという間にカードが発行され限度額50万円だと説明されました。
まあ1万だけ借りて給料出たら返せばいいやと思っていました。しかし借りては返し借りては返しの繰り返しであっという間に残高は0円になりました。
もうパチンコはやめようやめようと思いましたがパチンコだけでは済まず競馬やゲーム喫茶とにかくギャンブルから抜け出せなくなっていきました。
結果カードが1枚から2枚、2枚から3枚、3枚から4枚と瞬く間に増えていきました。もうこうなったら最後です。しかしそこそこ給料を貰っていたのでなんとかうまくまわして返済が遅れないようにやりくりしていました。しかし一向に借金は減っていきませんでした。その後も変わることなく日々ギリギリの生活を続けていました。そんな生活が何年か続いていたんですがトラブルで仕事を辞めることになり、
突然ですが夜の世界へと足を踏み入れることになってしまいました。
有名な夜の街です。
女の子が働く店で店長として働く事になりました。
もう良い方向に向かうはずもないですよねw
働く前に社長からはウチの店の女の子には絶対手を出すなよ!と何度も念をおされました。
仕事内容は15時に店に入り店内の清掃からはじまりテーブルのセット、ボルビックの殻瓶に水を入れる作業、チョコレートのお通し、女の子たちへの叱咤激励、面接も自分でやりました。
『うちは、同伴とか一切強制しないから!』
真っ赤な嘘ですけど!そう言わないと社長が怒るから😤
お客さんが来るまでは女の子はみんなカウンター前に座って手紙や電話でお客を誘います。
その間女の子達は次々に俺に飲み物をオーダーしてきます。有名なチェーン店だったので女の子も綺麗な子ばかりでした。
数ヶ月がたった時店のNO1の女の子に相談があるからご飯に付き合ってと言われバレないように郊外で会う事になりました。ヒーー!w
それでは今日はこの辺で!
つづき
それからその台をプロの6人が次々と打ち始めました。5分もすると全員がボーナスを引いていました。その後も次々とボーナスを引き当て中には帰って行くプロの方もいました。ただただその光景を訳わからず見ていたのを思い出します。
それから半年間その仕事をこなしていたある日、Kさんがこの台打ってみろと10円玉でおさえていた台を打たせてもらいました。するとすぐにビックボーナスを引き当てあっという間に10連しボーナス後35ゲームを回したところでやめろの指示があり即やめしました。その後も1日1台は打たせてもらえるようになり、財布の厚さが変化していったのを思い出します。その後システムを理解し独自に立ち回りし更に財布が分厚くなりました。当時はKさんと毎日キャバクラ、寿司、キャバクラ、焼肉みたいな日々が毎日続いていました。今のキャバクラ?メイクラ?はどんな風になっているのか知りませんが昔のキャバクラは女性が一生懸命場を盛り上げてくれてめちゃくちゃ楽しかったです。もう10年以上は言ってないですけどね。今でもこのやり方が出来たらすぐにでも仕事辞めちゃいますけど今は勝つ事自体が運ですね。毎日通って店のくせ、設定などを見抜くことが出来れば中には勝っている人もいると思いますけどほとんどの方はパチ屋に貯金してるはずです。
まあなけの攻略?やり方は単純なものでした。
これはそのうちまた公開します。
しかしこんなうまい日々がいつまでも続くわけがありません。次第に店を移動したりうち子になってみたりと色々やりましたが上手くいかず2年でプロ生活は終了をむかえました。
その後地元に戻り、ホテルで働いたりしていましたがなかなかしっくりこず悶々としていました。
結局ホテルも辞めプー太郎になりました。
休みの日バイクに乗り海沿いを走っていた時に高校生の頃にバイトをしていた会社があり同級生も働いていたので暇つぶしに遊びに行ってみました。
世間話をしていたら当時お世話になっていたマネージャーがきて、『おう!久しぶりだな、今何してんだ?』俺『プー太郎っす!』すると『じゃあこのまま今すぐここで働け!』とほぼ強制的に働くことになりました。給料も結構良くて有名な会社でした。
しかしその会社にもパチスロ好きな奴がたくさんいて自分も当然そっち側の方に徐々に引き込まれていきました。しかし全く勝てずあれよあれよという間に給料では足りなくなっていきました。
この時既にギャンブル依存症に入り込んでいたのだと思います。
次の話はついにその第一歩を踏み出すことが起きます。それではまた明日。